大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和41年(あ)776号 判決 1968年7月05日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人森長英三郎の上告趣意第一点および弁護人佐々木哲蔵、同都馬有恒、同中野留吉の上告趣意第一点のうち、判例違反を主張する点について。

所論引用の東京高等裁判所昭和二八年(う)第一四九七号同年一一月一八日判決は、本件同様、特定郵便局長が、自ら利得する目的で郵便切手類及び印紙の売さばき人の承諾を得て、その名義を使用して印紙等を売りさばき、その手数料相当額を利得した行為につき、印紙等の売さばきの代理は、法律上許容されているから、背任にも業務上横領にもならないとしているのであって、本件の原判決は、これと異なった判断をしているものといわざるを得ない。しかしながら、当裁判所は、本件のように、被告人が、売さばき人の名義を借り受け、自己の計算の下に郵便切手類等を売さばき、その手数料を右売さばき人の名義で取得する行為は、郵便切手類売さばき所及び印紙売さばき所に関する法律(昭和二四年法律第九一号)の認めないところであり、従って右のような行為によって売りさばいた印紙等の手数料を請求する権利は被告人にはなかったのであるから、その事実を秘し、あたかも実際に名義人自身が郵便切手類等を売りさばいたように書類を作成して指定郵便局に提出し、歳出金支払証票の交付を受けた行為は詐欺罪となり、また自己の保管する渡切経費の中から右手数料支払名下に金員を支出し、右手数料相当額を利得した行為は、業務上横領罪になるとした原判断は相当であると考える。しからば、これと相反する判断をした前記東京高等裁判所の判例を変更して、原判決の判断を維持するのを相当と認めるので、結局、所論判例違反の論旨は原判決破棄の理由となり得ない。

弁護人森長英三郎の上告趣意第一点のうち、その余の論旨は、憲法三一条、三九条違反を主張する点もあるが、実質は、すべて単なる法令違反の主張であり、同第二点は、判例違反を主張するが、引用の各判例は、いずれも本件と事案を異にして適切でないから、所論はその前提を欠き、以上いずれも上告適法の理由とならない(郵便切手類および印紙の売さばき手数料の支払に関し、指定郵便局から特定郵便局に送付される歳出金支払証票は、詐欺罪の対象となる財物になるとした原判断は相当である)。

弁護人佐々木哲蔵、同都馬有恒、同中野留吉の上告趣意第一点のうち、前記判例違反以外の論旨は、憲法三一条違反を主張する点もあるが、実質はすべて単なる法令違反の主張であり、同第二点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(原判決の法令解釈に関する判断が相当であることは前述のとおりである)。

よって、刑訴法四一〇条二項、四一四条、三九六条により、裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

裁判官色川幸太郎の反対意見は次のとおりである。

一、多数意見は、被告人が売さばき人の名義を借り受け、自己の計算の下に郵便切手類および印紙(以下、切手等という)を売さばき、その手数料を右売さばき人の名義で取得した行為は、当時の郵便切手類売さばき所及び印紙売さばき所に関する法律(以下、同法または売さばき法と略称する)の認めないところであると説示している。なるほど同法二条によれば、売さばき人は切手等を「売さばくのに必要な資力及び信用を有する者のうちから」選定し、売さばき業務を委託するものであり、同法三条によれば、売さばき人は「郵政大臣の定める場所に」「売さばき所を設けなければならない」ものであるから、売さばき人及び売さばき場所を特定することは、一応、同法の趣旨と、したところであったかも知れない。しかし、それだからといって、売さばき人その人でなければ切手等の売さばき行為ができず、また、特定の売さばき所でない場所での売さばきは法の許さないところである、と解する根拠は果してあり得るであろうか。

思うに切手類の売さばき行為はきわめて単純な軽作業である。格別な熟練や高度の知識経験を必要とするものではない。したがって売さばき人自身の判断にもとずき、自らが手を下すのでなければ遂行し得ない底のものでないことはいうまでもない。補助者によっても十分に処理できる行為なのである。そうである限り、性質上、本来、代理に親しむ行為であるといわなければならない。同法は、売さばき人に資力及び信用の存することを要求しているが、売さばき人は、現金と引換でなくては、郵便局から切手等の売渡しを受けることはできないのであるから、資力云々とはいうものの、当該売さばき所の需要に見合う額の印紙等を常備(同法五条)し得る程度のものであれば十分であり、必ずしも裕福な人物たることを必要とせず、信用といっても、偽造や変造された切手等を売りつけるような犯罪的傾向を有しない、善良な市民であれば事が足りる筈なのである。現に記録に徴すれば、売さばき人選定の運用も以上のような趣旨において行なわれていることを窺い得るのである。次に売さばきの場所について考察すると、昭和二四年の制定にかかる売さばき法は、旧逓信省令による場所に関する制限をことさらに意識して撤廃していることに留意しなければならない。したがって、昭和二九年法律第一四号による改正により再び場所的制限が設けられるまでは、同法上特定の売さばき所でなければ切手等を売さばくことができなかったというわけではなかったのである(被告人の本件所為のうちには、同法の改正されるまでの行為も含まれていることは明らかである。)。もともと切手等は、公衆の便宜のために発行されるものであり、その流通を規制しなければならない特段の国家的な要請があるわけではないから(むしろその逆であろう)、私人間において売買されても、その取引を目して公の秩序にもとるとすべき何らの理由もあり得ない筈である。そして、もし仮に郵政当局として、これらの行為を規制する必要があったとするならば、合理的な範囲内において、これを禁ずる旨の立法措置を講ずべきであって、それがないのにかかわらず、本件のような行為を一概に法の認めないところとするのは、私の納得し難いところである。

被告人の本件売さばき行為は、被告人自身の計算においてなされているのであるが、それだけでは代理の成立を否定する根拠にはなり得ない。代理人は、必ずしも本人の経済的利益を図るためにのみ行動する必要はないのであって、代理人に利益が帰属する如き形において売さばき行為が行なわれたにせよ、代理権の授与があり、代理の意思が代理人に存在するならば、代理関係の成立を認めるに欠くるところはないのである。(なお本件売さばき行為が、売さばき人本人の名によってなされたかどうかという点も、代理の成否を決するための決定的理由にはなり得ないと考える。けだし切手等の売さばきのような定型的取引行為においては、本人の名を顕わさないでも、商法五〇四条の類推によって、代理の成立を認めることができるのであろうから。)原判決の認定するところによれば、被告人は、各売さばき人の同意の下にその名義を利用して切手等を買い受けて売さばき名義を借りた謝礼として、毎月五〇〇円宛の金員を売さばき人に支払っていたというのである。そしてそのために売さばき人に依頼して切手等の売渡請求書用紙、切手等の売さばき手数料請求書用紙等に売さばき人の届出印を押して貰っていたのであるが、この事実関係を虚心に観察する限り、売さばき人と被告人らの間に代理権の授受があったものだとすることは決して無理な解釈ではあるまい。しかもその際、両者間には手数料を被告人らに取得せしせる暗黙の合意があったと推認すべきであるから、被告人らによる売さばき行為によって一旦売さばき本人に生じた売さばき手数料請求権は、別段の意思表示をまたず、即時、代理人たる被告人に移転したと解することができるのである。そうだとすると、売さばきについて代理を禁ずる明文上の根拠もないのに、本件被告人の行為を売さばき法の認めないところであるとし、これを業務上横領及び詐欺にあたるとした多数意見には到底賛成し難く、原判決は、上告趣意の引用する昭和二八年一一月一八日の東京高等裁判所の判例と相反する判断をしたものとして、刑訴法四〇五条三号により破棄を免れないものと考える。

二、もっとも、私は、多数意見が、売さば手数料をもって、文字どおり売さばいた行為に対する手数料と解していることに疑問をいだくものである。昭和二九年法律第一四号による改正前の売さばき法七条は、「郵政大臣は、売さばき人に対し」切手等の「売渡月額に左の割合を乗じて得た金額の売さばき手数料を支払うものとする」と定めているのであるから、その「売渡」とは、郵便局から見た行為の態様であって、売さばき人からいえば、正しく郵便局からの買受けにほかならない。大正一二年逓信省令第四一号郵便切手類及収入印紙売捌規則(売さばき法が制定施行されるまでは、印紙等の売さばきは、この省令及びその改正規則によって律せられていた)の一二条は「売捌人ニ売渡ス郵便切手類及収入印紙ハ定価ニ対シ左ノ割引ヲ為スヘシ」と規定していたのであるが、売さばき法が、果してこの割引制度を全く転換し、売さばきの実績に応じて手数料を支払うことに改めたのか、それとも、よび名を売さばき手数料と改めたにとどまり、その実質は依然従来の割引と変わるところがなかったのかが問題とされなければなるまい。この点はさきに引用した売さばき法七条の解釈上ほとんど疑問の余地はないと思うのであるが、一件記録によれば、売さばき手数料の算定は売さばき人の売さばき高によることなく(売さばき実績の調査、報告さえ行われていない)、売さばき人が郵便局から切手等を買受ける際、その買受額に応じて、即時、現金で支払われる取扱であり、しかも、売さばき人の便宜のため、手数料を差引いた現金を郵便局に差出せば足りるというような運用さえ許容されていたというのである。これらを綜合してみれば、名は売さばき手数料というものの、その実質は割引にほかならないというべきではあるまいか。ところで前述のとおり、売さばき人に対して予想される需要に見合うだけの印紙等を常備するよう要請されてはいるのであるが、それにしても、需要には当然変動があるのみならず、何時予期しない大口の需要家が現われないとも限らないのである。そういう、手持ちでは到底まかない切れないような事態が生じた時、代金の授受と切手類の引渡を郵便局と需要家の間に直接行わしめたとしても、それが売さばき人の名においてなされる限り、売さばき手数料の発生を妨げるものではあるまい。もしその場合、右の手数料の全部又は一部を頭初からの両者の約束に基づき、当該需要家に取得せしめたならばどうであろうか。これをもって、売さばき人が定価を割って需要家に売さばいたものだとみることができれば、売さばき法一一条違反の問題を生ずるであろうが、問題はそれだけのことであって、郵便局から売さばき人が買受けたという事実そのものには何らの虚構もないのであるから、郵便局を錯誤に陥れ、需要家に不法な利得を得せしめたことにはならないし、いわんや当該需要家に刑事上の責任を帰せしむべき理由は全くないのである。そうだとするならば、第三者が売さばき人より適法に委任を受け、その代理人たることを明らかにし、又は売さばき人の承諾のもとにその名前を使用して(この場合も代理である)、売さばき手数料を控除した金額と引替に郵便局より切手等を買受けたとしても、これまた同断ではあるまいか。なるほど郵政当局にとって、かかる行為の反覆累行は管理上好ましくないことであるかも知れない。しかし当時としては、手数料の最高額を極めて低くおさえていたことでもあり、さしたる弊害があったとも考えられないし、またもしこの種の行為を抑制する行政上の必要があったとするならば、適宜立法手段に訴えることも可能であったのである。しかるに国家としてその途に出ることなく、事後において、にわかに、詐欺もしくは横領に問擬し、峻厳なる刑罰を以て臨まんとすることは、それによって保護せんとする法益との間に懸隔のあまりにも甚しきものを感ぜざるを得ない。要するにさきに引用した原審認定の被告人の行為は詐欺及び横領の定型性を有せず犯罪を構成しないのであるから、これに反する判断をした第一審判決及びこれを是認した原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと考える。

以上、いずれにしても、原判決は破棄を免れないのであるから、私は、本件上告を棄却すべしとする多数意見には賛成することができない。

(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)

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